今回で第6次になる震災復興ボランティアが先週末に行われました。
職員と医療生協の組合員さんの参加でバスを1台貸し切って行くこのボランティアは、夕方高松を出発して車中泊で宮城県山元町まで行き、到着した日1日ボランティアをしてまたその日の夜に車中泊して帰ってくるという強行スケジュールです。
今回参加した病棟の看護師から報告が届いたので、ご紹介します。
「15日高松協同病院前にて出発式。 明石大橋を通って、いざ宮城県へ‼
現地に到着後、お世話になるみやぎ県南医療生協の方との打ち合わせをして、仮設住宅へ。
仮設住宅へ向かう道中の景色をみて、段々と現実が見えてきました。
復興住宅と何もない広い土地、駅舎、かつて賑わっていた場所は敷地境界のセメントのみ残っています。
この境界から、かつては住宅が密集していて、賑やかな町だったろうと想像できます
2年8か月過ぎてもこの状況。
津波が押し寄せて廃墟となった小学校で復興庁の方々と一緒になりました。
どうか、しっかりこの光景を目に焼き付け、1日も早い復興をお願いします
みやぎ県南医療生協の方々が主催している仮設住宅集会場でのふれあいステーションでは、脳トレ、リンパマッサージを指導しながら健康相談に乗ったり、お茶を飲みながらお話を仮設住宅では、持病を持っている人は多く、その殆どはかかりつけ医を持っていて、健康相談は少なかったです。
私に何ができたかというと、ただ話を傾聴するだけ…。
ハード面での復興は兆しが見えてますが、 人の心はまだまだの印象でした。
涙を堪えるのが必死でした。
午後からは、被災された方々からのおもてなしを受けました。
被災地で捕れたサンマを炭火で焼いて、青空の下で頂きました。
こんなに美味しいサンマは初めて食べました*:.。.(*ˆ﹀ˆ*).。.
後で聞いた話ですが、被災された方々が自らボランティアをもてなそうと、企画してくれたようです。 少しずつ、ボランティアに何か返そうと思える、余裕が出てきているのだろうとの事でした。
今回、ボランティアに参加してみて、こんなに時間が経ってからやっと現実を見ること出来ました。今からでも私にできること、見つけていきたいと思います。今回、ボランティア活動の機会を頂いた医療生協に大変感謝してい
ありがとうございました。」
震災から2年半あまり。忘れてはいけない現実が現地にはあることをこの看護師から教えてもらいました。
参加者のみなさん、本当にお疲れ様でした。
次回の復興支援ボランティアは、3月の予定です。