支援最終日、出発前にこの地域で一番被害があった七ケ浜に被害調査に出かけました。
津波の後200-300名のご遺体が発見されたところです。
メデイアで報告されているとおりの、悲惨な現場がそこには広がっていました。
もとは閑静な住宅街だったという説明を聞いても、信じられませんでした。
がれきの中を、住人と思われる方が何か残っていないか探しておられるようで、本当に胸が痛みました。
今回の震災支援では、色々なことを体験し考えることができました。
外気が氷点下の中、暖房のない部屋で毛布とシュラフのみで固い床と寒さで眠れない夜。
お風呂に入れないことや集団の騒音の中で暮らすつらさ。
地震があっても情報が伝わってこない不安。
たった3日間でしたが、毎回おにぎり1個と少しのお味噌汁のみで過ごし、2kgやせました。
帰ってきてから、温かいお風呂やトイレを清潔に使えること、満腹感を味わえること、ほしいものがすぐ手に入る便利さ、熟睡できる環境があることなど、当たり前の生活がどれほどありがたいことかを感じることができました。
私たちは支援の日数が決まっていて帰れる日までの制限でしたが、避難所の方たちはいつまで続くかわからない生活に加え、続く余震の恐怖、身内を亡くされたり家や職場や財産がなくなり、想像を超える苦難を抱えて毎日気丈に過ごしておいでます。
本当にほんとうに、もっともっと支援の手が必要であることを一人でも多くの方に伝えたいと思います。
そして今回一番感じたのは、民医連の連帯の力です。
23日現在で全国の民医連の仲間が880名以上(医師180名)、述べ人数3744名の方が支援に行かれています。
香川でも第2班が協同病院から出かけ、これからも継続的に支援に行く予定です。
物資は毎日トラックで全国からどんどん届けられています。
応援メッセージの寄せ書きも、日ごとに増えていました。
これからは通常診療に移行する予定ですが、現地のスタッフも限界が近づいてきており、支援者と交代で休んでいただかなければなりません。
そして避難所の方の健康管理を継続するとともに、患者さんや友の会の方のお家の掃除や片づけに支援は広がっていきます。
私たちの力でまだまだやれることがあります。
若い医療スタッフには、現地に出かけて連帯の力を身をもって感じてほしいと思います。
↓のサイトで民医連の支援の状況を動画で見ることができます。
http://www.min-iren.gr.jp/html/menu8/2011/20110318202446.html
今回支援に出発するときに盛大な壮行会を開いていただき、「絶対帰ってきてよ」「頑張ってね」と雪のちらつく中白衣のままで車を見送ってくれたたくさんの仲間にとても感動しました。
送り出してくれた病院のすべての仲間に感謝するとともに、同行した上原部長、原田先生、高橋先生にも心から感謝したい気持ちでいっぱいです。
誠実な患者様への応対やその明るい性格に疲れを忘れさせてくれました。
本当に民医連で、高松平和病院で、この仲間たちと働いていることを誇りに思えました。
そして看護師でよかったと心から思えた3日間でした。