この間携帯のメールで状況報告しましたが、きちんと報告をしたいと思います。
宮城県塩釜市に到着したのは、17日(木)17時半。
支援先の宮城民医連坂総合病院に着いて、災害本部で支援者受付をすると、早速医師はオレンジ色のベスト、看護師はピンク色のベストを渡されました。
案内していただいた事務の方の話だと、坂病院は地震の被害はなく、もともと井戸水があり電気は13日(震災3日め)に通ったそうです。
携帯電話は16日(震災6日め)より使用可能となったとのこと。
ガスの復旧は3カ月を要するとのことで、プロパンガスで職員と支援者の炊き出しは行われていました。
ガソリンと重油が枯渇しており、暖房は付けられない状態。車に乗れないので避難所も歩いて回っているとのことでした。
翌日には、首相官邸より直接電話が入り(すごい!)重油とガゾリンが支給され、支援者が宿泊している外来棟にも暖房が入って助かりました。
関連施設の被害状況ですが、松島医療生協のデイサービスセンターでは、デイの建物と避難所である小学校がすべて流されたそうです。
残念ながら、所長と職員1名、17名の利用者さんのうち11名のご遺体が発見され、行方不明の職員がまだ1名おいでました。
職員が、利用者さんを一生懸命保護しようと頑張る姿を思うと、涙があふれてきます。
坂病院の周囲は被害は少ないようでしたが、職員は全員が24時間は不眠不休の活動を行い、その後は3交代の外来勤務の方もトリアージ体制のために12時間勤務を毎日されて、週に3回の当直を組まれていました。
家が遠い方は交通手段がないために病院に泊まったり、家が流された方は家族のおいでる避難所から通勤しているそうです。
ご家族や友人の安否がわからない方もまだおいでるとのことでした。
事務の方は遠方なのでまだ一度も家に帰っておられず、家がどうなっているかわからないと言っていました。
みなさん気丈に頑張っておられましたが、疲れている様子が手に取るようにわかりました。
続きは、また明日報告します。
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